ごあいさつ

現代社会の複雑な機構は、子供達から自然や遊び場を奪い、《運動能力》や《基礎体力》の低下は、幼児が日々の生活を維持していくことさえ危うくさせてきました。特にモータリーゼーションや知育偏重攻勢がはなはだしく、それらが低年齢化へ、更には幼児へと、弱いもの達を侵攻しはじめたのは昭和40年代の初頭です。そのような危機的状況を前に、私達は急を要する思いで「幼児体育研究所」を創立させねばなりませんでした。

対象を私立幼稚園に、純然たる「幼児体育の指導機関」として、そのシステムを初めて世に示し、確固たる教育観と信念をたずさえて斯界に一石を投じることになります。

指導現場は日々流動的であり、それを追うように、教材を開発し分類し、成就率を確かめながら系統化し、加齢にともなう段階指導の要綱作成と、幼児の「体育方法」という難題に取り組む必要性を、夜を徹して迫られます。

年を重ねる度に新しく作り変えられた、指導要綱は種々の理由で所外に流出し、世に貢献する形にはなれど“体育方法”を伴わない“心”の伴わない要綱は、何もしてやれぬまま巣立ってしまった子を思う親の心境に似て、傷ましくてなりません。

昨今では、幼稚園の体育導入が常識化し、普及率が高まるにつれ、益々この分野の荒廃が目立ち始めており、誠に残念で仕方ありません。その主たる原因は、教育企業的団体の増加・幼児の体育方法の不完全さ・指導者の無知に起因する技術思考・総じて、教師養成能力の欠如があげられます。そこには、本来普遍であるべき、教育への「意志」「良心」子供達への確かな「愛情」は見当りません。『幼児は大人の小型ではない』ように、幼児体育もまた大人の体育を幼児向けにしたものではありません。幼児体育が成立するためには、固体としての幼児の特性を熟知している必要があります。固体とは、幼児の発育・発達・成長に関わる固の特性です。本来、子供は自分で自分を形成する力を持っています。それを引出すのが教師の役目です。しかし、それが自己の成長に関わる指導(教材)でなければ幼児は心から反応しません。

幼児が『集中力に乏しい』ということも、成長に関わる事象には『集中したがっている』のだということを識るべきで、その手だてが判らないだけです。しかし、幾多の手だてを教師が駆使しても、最終的には、幼児の側に立って理解しない、人格のない教師には集中しないはずです。幼児は人間としての教師をよく観ているものです。

教師が単元の流れや教材の一つ一つに興味を持続させるためには、膨大なエネルギーを必要とします。つまり教師は一単元を『しゃべりずめ』にしていなければならないからです。それが当所の教師の偽らざる現在の姿です。

教育の対象は人間です。教育される幼児は、親の、教師の、教師を統括する責任者の人格の反映であるということを心しなければなりません。私達は瞬時を惜しんで幼児のための『人間教師としての環境』が何かを考え、切磋琢磨し、自己内省と改革につとめ『明日を教えることを今日苦悩し、昨日より成長した姿で子供の前に立つべきである』……と考えます。

教育が衰退の一途をたどる世相を前に、私達は敢えて幼児体育が教育としての何たるか……を、永年の実績を携えて改めて世に問う覚悟です。

楽しい運動のプログラムに、眠っていた心身の機能がよびおこされ、幼児は指導の第一日目から歓声をあげるはずです。その眼の輝きの中に将来のあるべき姿を発見されるにちがいありません。

所長 伊東昭義

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